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健康増進法の改正により、2019年7月から学校・病院・行政機関の庁舎等では敷地内禁煙、2020年4月からは、事務所・工場・飲食店等も、原則、屋内禁煙とはじめて法制化された。本人の健康目的とともに、望まない受動喫煙の防止対策として、社会全体での禁煙に向けた取り組みが行われている。日本たばこ産業(JT)が発表している「2018 年全国たばこ喫煙者率調査」によると、成人喫煙率は17.9%であり、タバコ税の増税とともに徐々に下がってはいるものの、加熱式タバコの普及もあり、いまだに先進国の中で喫煙率は高いのが現状である。世界を見てみると、2022年12月、ニュージーランドでは、2009年1月1日以降に生まれた人が生涯にわたって紙たばこを買えなくする法改正案を賛成多数で可決するなど、国を上げて禁煙への取り組みをおこなっている。
国内で喫煙に関連する病気で亡くなった人は年間で12~13万人、世界では年間500万人以上と推定されており、さらに日本人では20歳より前に喫煙を始めると、男性は8年、女性は10年も寿命が短縮すると言われている。社会全体の経済的な面から見てみると、2018年8月に厚生労働省が出した研究発表では、2015年度の医療費や介護、火災などたばこによる損失額は推計で2兆500億円と莫大な損失を生み出している。医療費の中でもがんの治療費が5,000億円超になっている他、受動喫煙が原因の医療費は3,300億円となっており、速やかな禁煙への取り組みが必要である。
しかし、正直に言えば、今まで喫煙者への禁煙推進の講義をしているが、いくら「あなたの健康を害していますよ!」と話しても、「そんなことは耳にタコができるほど聞いている!」と一蹴されてしまうのがオチである。喫煙による健康被害は今日明日目に見えるものではなく、生活習慣病といった徐々に命を脅かすものであるため、現実味がなく、禁煙した方が良いとは分かっているけれど…と実際に行動にうつす人はどうしても少ないのが現状である。故に今回は、従業員の健康維持だけでなく、禁煙による経済的な効果から喫煙を見つめてみようと思う。
まずは企業の生産性向上の効果と行った観点から経済産業研究所の行った研究報告を上げていく。結論を先に言えば、禁煙は、生産性の向上を生む。禁煙が生産性に影響を与える理由の1つ目は、欠勤や休職により仕事に従事できない状態を指すアブセンティーイズムや、出勤しているものの心身の不調によって十分なパフォーマンスを発揮できないプレゼンティーイズムの改善である。
喫煙や受動喫煙は身体的・精神的倦怠感を生じ、仕事への集中力低下などの影響がある。タバコは“ニコチン依存症”であり、ニコチンが切れると、禁断症状としてイライラ感など様々な症状が出現する。タバコは簡単に購入できるため、使用者の依存症としての認識は低いが、立派な依存性物質である。使用者が依存症になる割合を比べると、ニコチン > ヘロイン > コカイン > アルコール > カフェインと圧倒的に依存症になりやすい。さらに依存症になった人の禁断症状の強さを比べても、アルコール > ヘロイン > ニコチン > コカイン > カフェインという順番になっており、それ故、依存症の人がやめる難しさの度合いも【コカイン = ヘロイン = アルコール = ニコチン】 > カフェインと違法薬物に引けを取らない危険な依存物質なのだ。
(Royal College of Physicians:Nicotine Addiction in Britain: A Report of the Tobacco Advisory Group of the Royal College of Physicians. 2000)
2つ目は実労働時間の増加である。タバコ休憩による損失はかなり大きいとされている。米国の民間企業を対象にした調査によると、アブセンティーイズムとプレゼンティーイズムの損失はそれぞれ1人当たり年間 517ドル、462ドルと推計されている。一方、たばこ休憩による損失を給料で換算すると、1人当たり年間3,077 ドルにも上り、アブセンティーイズムとプレゼンティーイズムの損失よりも6 倍以上大きいという結果となった (Berman et al., 2014)。この実験を元に、日本で禁煙プログラムを実施した研究では、プログラム参加者 73 人中、 禁煙支援対象者となった44名の中で禁煙に成功した人は 33 名。
分析の結果、禁煙プログラムへの参加は、1日あたりのタバコ休憩を約27分減少させた。禁煙成功者だけでみると約50分ものタバコ休憩時間減少となった。また、禁煙はプレゼンティーイズムを 0.5 標準偏差改善し、ストレスを 0.9 標準偏差軽減、過去1か月の病欠日数および健康問題による早退日数をそれぞれ0.5日、0.4日減少させており、禁煙は、タバコ休憩時間の解消、プレゼンティーイズムの向上、アブセンティーイズムの減少を通じて、企業の生産性を上昇させることが示された。
(https://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/21j032.pdf)
また、喫煙は稼働時間だけでなく、仕事場での人間関係にも支障をきたすというデータがある。仕事の相手が喫煙者だった場合、相手に対する好感度は36.8%の人が低下したと話し、仕事に対するモチベーションやその相手とのコミュニケーション意欲も30%前後低下するという回答が示された。
喫煙者というだけで、相手での信頼感も26.4%の人が低下すると回答しており、この結果からも仕事への影響が少なくないことが見てとれる。商談相手からたばこ臭がした場合、不快感が募るどころか55.9%が購買意欲の低下も示しており、営業職の場合、成績にも如実に反映するのではないだろうか。不快感の理由として一番多いものは、タバコの匂いや煙であり、前述した休憩時間の不公平感についても次点に上がっている。
近年は、スモークハラスメント略して“スモハラ”のトラブルも急増している。実際に報道されたニュースでは、自動車教習所の運営会社が受動喫煙による健康被害についての従業員との訴訟で「100万円」の和解金支払いや、大手企業が受動喫煙による健康被害についての従業員との訴訟で「350万円」の和解金支払いなどの裁判事例が挙げられる。スモハラトラブルを防ぐためにも、企業は受動喫煙対策を徹底すべきである。
企業での労働安全衛生法68条の2の内容として、「事業者は、労働者の受動喫煙を防止するため、当該事業者及び事業場の実情に応じ適切な措置を講ずるよう努めるものとする。」と明記されており、この労働安全衛生法の受動喫煙対策についての企業の努力義務は、大小を問わずすべての企業に適用される。この法律を受けて、企業が行うべき受動喫煙対策の具体的な内容が厚生労働省のガイドラインで定められており、企業が職場の受動喫煙対策を進めるためには、経営者あるいは幹部が、これらの受動喫煙対策が必要な理由を、健康面、法律面の両面から把握し、自ら積極的に禁煙を進めていく必要がある。ここに“自ら”と記したのは、マネジメント層が喫煙者であるために、禁煙推進がなかなか進まない企業が多いためである。
スモハラ対策として企業が押さえておくべきポイントとしては、
・妊婦や持病のある特に配慮すべき従業員の有無など自社の現状を把握
・屋内全面禁煙や適切な分煙を徹底し、職場の一酸化炭素濃度などが基準内であるかを確認する
・管理職、従業員に受動喫煙や禁煙に関する教育・呼びかけを行う
といったことが必須である。 経営面、また企業内でのトラブルを考えても、禁煙推進を重要視すべきである。
個人の支出についても少し触れておく。20歳から70歳まで1日20本タバコを吸い続けた場合、1箱600円と換算して生涯で、約1100万のタバコ代がかかる。実際は、それに伴うライターや灰皿、医療費などさらに多額の損失が見込まれる。たばこ特別税が創設された1998年は約200円だったタバコの平均価格は、現在大きく上昇しており、1998年と2020年を比較すると、たばこの価格は約2.5倍になっている。ここまでの日本国内のたばこ税の増税や値上がり状況を見ると、急激な増税に嫌気を刺すかもしれないが、欧米諸国と比べるとまだまだ日本のたばこ代は安いほうで、海外特に先進国ではタバコ1箱1,000円を超える国も存在する。日本でも、増税の対象の筆頭には常にたばこ税が上がっており、今後もさらに家計の負担を重くすることは想像に難くない。
健康被害だけでなく、企業及び個人の経済的観点から見ても、禁煙は今後の大きな課題である。現在は禁煙外来の保険適用の基準も緩和されており、会社全体での禁煙に向けた取り組みが必須ではないだろうか。
執筆:産業医(精神科医)